太陽がゆっくりと西に沈み、帝都グレックミンスターを赤く染めていく。
道行く者たちは、思い思いに早足に帰路を急ぎ、道に沿って並んださまざまな露店はここぞとばかりに声を張り上げる。
──街は今日も活気に満ちていた。
そんな人混みの中を、鉢植えを抱えた少年が走り抜ける。
一見して、少女と見間違える程に整った顔立ち──さらさらと揺れる艶やかな黒髪に、透明感のある碧の瞳。身につけている服は簡易ながら上質の布であることを鑑みるに、きっと身分の高い者なのだろう。
少年は両の手でしっかりと鉢植えを胸に抱え込んで、人にぶつからぬよう通りの隅を選んで走っていく。
「フェイレン!」
横手から声。
フェイレンと呼ばれた少年は、びくりと肩を震わせその場に立ち止まり、辺りを慎重に見回す。
「こんな時間まで、どこ行ってたんだよ?」
言いながら、駆け寄ってくる影。
短い金に近い茶髪に青い服。屈託のない笑顔を顔いっぱいに浮かべ、人の合間を縫うように走り寄ってくる。
少年の姿に、フェイレンはそっと安堵のため息を漏らした。
「テッド」
フェイレンは少年の名を呼び、体ごと少年――テッドに向き直る。
「なんだ、また花を買ってきたのか?」
フェイレンの手の中にある鉢植えをのぞき込み、テッドは呆れたように呟く。
「えっと…違うよ。これは、頂いたんだ」
間を置きながら話すのは、フェイレンの癖だ。
テッドは承知しているのでそのまま話を続ける。
「…また花将軍?」
「この街で、僕に花を鉢植えで下さるのはミルイヒ将軍くらいのものだよ」
苦笑混じりで答えるフェイレンに、テッドも苦笑を返す。
「おまえ、切り花もらうと不機嫌になるもんな」
「わざわざ切り取るなんて、変だよ」
苦笑混じりに言うテッドに、フェイレンは眉根を寄せ不満げに言葉を紡ぐ。
「おまえが変なんだって」
「植物だって命だよ?」
「お前一生野菜食わない気かよ?」
「あ、へりくつ」
「おまえだってへりくつ」
『……』
数秒の沈黙。二人は同時に吹き出した。
「ねぇ、テッド。今日うちにおいでよ」
ゆっくり、歩き出す。テッドもその後に続くのを確認し、フェイレンは嬉しそうに微笑みながら続ける。
「今日、父さんが帰って来るんだ。グレミオがごちそう作るって張り切ってたよ」
「ラッキー! 行く行く!」
指を鳴らし喜ぶテッドにフェイレンは笑みを深めた。
「そうと決まれば善は急げだ!」
足取り軽やかに駆け出すテッドに、フェイレンは次いで足を踏み出しかけ──
(!?)
止まる。
それは、ほんの一瞬。
導かれるように空へと視線を向け──星が、流れるのを見た。
──ぞくり、と。
言いようもない、悪寒。
「──フェイレン?」
名を呼ばれ、我に返るフェイレンの視界いっぱいに、不思議そうな顔をした親友がいた。
「…あ…」
「どした? 急に立ち止まって…何かあるのか?」
つられたように空を見上げるテッド。
しかし、暮れゆく空は徐々に赤から群青、濃紺へと変化していくだけ。
「……? 何もないぞ?」
「…いや…なんでも…ない」
放心したように呟くフェイレンを不審に思いながら、テッドは左手を差し出した。
「行こうぜ」
にっと白い歯を見せながら笑うテッドに、フェイレンはそっと息を吐き出し、植木鉢を左手にしっかりと持ち、右手で差し出された手を握った。
(…今のは…なんだろう…?)
小走りに家路を急ぎながら、フェイレンはふと考える。
夕焼けの空。一筋の光。その星は、まるで何かの暗示のようだった──言葉に出来ない不安が、体中に広がっていく。
自分の手を引き、先を行く親友の背を見つめる。
自分よりもわずかに小さく、小柄な体──その体いっぱいに、溢れんばかりの“強さ”を宿しているのを知っている。
その背が今にも消えそうな気がして──フェイレンは繋いだ手を固く握り締めた。
(…黙っていなくなったり…しないよね? テッド…)
テッドは何も言わない。
ただ、黙って──手を握り返した。
フェイレンは嬉しそうに微笑み、あの不安は気のせいだと、首を軽く振り頭から追いやった。
(大丈夫。テッドはここにいる)
心の呟きと手から伝わる温もりが、不安の影を押しやる。
フェイレンはもう一度空を見た。
すっかり暮れた群青の空に、ぽつりと──黄金の星と、赤い星、二つの星が光っていた。
二つの星の意味を、フェイレンは知る由もなかった──。
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