いつものように。
突然屋敷を訪れた、同盟軍々主トゥエンの要請で同盟軍の本拠地を訪れたトランの英雄フェイレン・マクドールは、ヘルフェン城の入り口で途方に暮れていた。
「…えーと…」
何故彼が困っているのかというと──案内人であるトゥエンがいきなり消えてしまったから。
(…ここで待っていればいいのかな…それとも追い掛けるべきだったのかな…)
ヘルフェン城に訪れるようになって数週間経ったとはいえ、自由に動けるかといえばそうでもなく。
どうしたものかと悩みながらも、一応トゥエンが来るのをその場で待つ。
ただ待ってるだけというのも手持ちぶさなので、ここまでの経緯を思い返してみる。
今日は暖かな陽気だったので、フェイレンは中庭で読書をしながらお茶を飲んでいた。
そこに、クレオに来客を告げられ、応接間に行ったらトゥエンがちょこんとソファに座り、グレミオが用意したらしいお茶菓子を幸せそうに頬張っていた。
連れはおらず、バナーの峠を単身越えてきたトゥエンに驚きながら(彼は同盟軍の軍主なのに…護衛をつけなくていいのだろうか?)フェイレンは今回の用件について聞いてみた。
「今日は、どうしたの?」
「ふぇーれんいないぼく呼ぶ来た」
「…えーと…僕に来て欲しいのは、何故かな」
「しゅう大変ダメ紙ちゃこ読むぼく呼ぶ言った」
「…チャコ?」
「ういぐほーど天巧星」
「その、『チャコ』が…僕を呼んでるの?」
「ふぇーれん呼ぶぼく」
「……」
十分ほど問答をし、フェイレンはトゥエンから事情を聞くのを諦めた。
力を貸す事を了承したのは自分だし、トラウム軍々師には自分を『トランの英雄』として扱わないよう、あくまで『トゥエンの友人』として手を貸す事を言ってある。
(…行けばわかるよね)
心配する従者に数日の間留守にすると告げ、トゥエンと共にバナーを越え、なぜか瞬きの手鏡を使わず本拠地まで来て──
着いた途端、トゥエンは「ふぇーれん来た言うする」と告げ、走り去ってしまった。
思い出された経緯に、多少頭痛がしたりもしたが、フェイレンはあえて深くは考えないことにした。
(…ここにいても仕方ないしなぁ…)
考えた結果、フェイレンはルックの所へ行くことにした。
ルックは星見レックナートの弟子の魔道士の少年で、フェイレンとは3年前の戦いからの顔見知りだ。
再会してからも何度か話をしているし、彼が普段陣取っているのは広間にある石版の前。人通りも多いし、自分を見つけるのも容易いだろうと考えての事だった。
(ついでにルックに事情を聞けばいいよね)
そう結論付け、フェイレンは唯一覚えている道順に沿って歩き出した。
「また来たの」
フェイレンの姿を見るなり、ルックが呆れたように呟いた。
「トゥエンに呼ばれて来たんだけれど…彼、どこか行っちゃって…。次にどこに行くのか、聞いていない?」
苦笑しながら問うフェイレンに、ルックは数秒考えるような素振りをした後、首を横に振る。
「数週間単位で出撃も斥候もないハズだよ。少なくとも、僕は聞いていない」
同盟軍内でルックは魔法兵団の指揮を任されている。出撃の予定があるなら彼にも話が来るハズだ。また、同盟軍でも指折りの魔力を誇る彼は、斥候任務時にも重宝される。
「そう…じゃあなんだろう。今回の呼び出しは…?」
「小猿の事だし、意味なんてないんじゃない? ただ一緒にいたかったとか、話がしたかったとか、そんなくだらない理由だろう」
「ルック、相変わらず彼の名前、呼ばないんだね」
「そんなの僕の勝手。文句あるの?」
「仮にも軍主に向かって『小猿』はないんじゃない…かな」
苦笑を漏らしながら言えば、ルックはまともに顔を顰める。
「あれが『軍主』なんて、世も末だね」
そんな感じで数十分が経過。
他愛ない雑談をしている所にシーナがやってきて、話に加わりさらに数分が経過した頃。
「!」
フェイレンが体を強張らせた──きっかり1秒後。
「ふぇ~れ~ッ」
声──と同時に背中に衝撃。バランスをまともに崩し──
ドタッ
フェイレンは床に派手に転倒した。
「……」
突進してきた小猿──否、これでは猪だ──と、その小猿に体当たりを受け床に転がった(受け身を取っていたので怪我はなさそうだ)トランの英雄を眺めらがらシーナとルックは同時にため息を吐いた。
「来たのに気付いたのなら、避けるか受けるかしろっての…」
「毎度毎度、飽きないね」
苦笑しながら呟くシーナ、呆れたように呟くルック。
──と。ここまではいつもの光景だった。
シーナとルックは倒れた二人から視線を外し、何事もなかったように世間話を再開する。
その二人の耳に、『しゅるる…ばさっ』という衣崩れの音が届く。
不思議に思う間もなく、次いでフェイレンの悲鳴。
「ちょ、わああああっ!? トゥエン! 何!?」
『?』
訝しく思いながら再び視線を移した二人の視界には、トゥエンがフェイレンに馬乗りになり、フェイレンの服を剥いでいるという世にも奇妙な光景が飛び込んできた。
『…………』
あまりと言えばあまりの光景に、二人の頭の中が真っ白になった。
「トゥエン、ストッ…! やめ…!!!」
必死に抵抗するフェイレンに構わず、トゥエンは帯を投げ捨て上着の留め金を外していく。
――余談だが。
この二人、総合的に言えばフェイレンの方が強いのだが…純粋な力比べとなると、トゥエンの方が勝る。
力で押し切るトゥエンに対し、フェイレンは身軽さを武器に、フェイントを多用し棍を振るう──言い換えれば、フェイレンの最大の強みは『素早さ』だ。故に、動きを止められると、フェイレンは途端に弱くなる。
わかりやすく言えば、フェイレンは 寝技に弱い。
暴れるフェイレンをあっさり押さえつけ、トゥエンはフェイレンの上着をはぎ取る──若草色の上着の下は、薄手のランニングシャツが一枚。
ここに至って、ようやっと見物人たちの脳がこの事態を理解し、対処すべく動き始めた。
「ちょっとッ」
「おいおいッ」
慌てた二人が駆け寄るよりも一瞬早く、トゥエンはぱっとフェイレンから離れ、フェイレンの上着を持ったまま走り出す。
『???』
三人が顔を見合わせる。
「…なんなの、一体…」
「僕の服…」
「服が欲しかっただけ、とか?」
呆然している間に、トゥエンは二階に続く階段へと消えていった。
「…とりあえず、追うか?」
申し訳程度に問い掛けるシーナに、フェイレンは頷き立ち上がりかけ──露わになった腕に顔を引きつらせ、再び座り込む。
「ま、待って! こんな格好じゃ…」
露出した部分を隠すように自身の体を抱きながら、頬を朱に染めフェイレンが訴える。
ルックとシーナが顔を見合わせ、
「男がランニング一枚で走り回ってたって、誰も気にしねぇよ」
シーナが代表して言った。
「僕が気にする!!!」
即座にフェイレンが眉をつり上げ反論する。
「そう言っても…どうすんだよ? 上着、トゥエンが持ってっちゃったし…」
「そっ、そう…だけど~…」
──とりあえず、シーナが上着を貸す事で妥協した。
.