「え、マオの名前って、ナナミが名付けたのか!?」
酒場の前を通りかかった俺の耳に、フリックさんの素っ頓狂な声が届いた。
ちょうど暇潰しのネタを探していた所だったし、これ幸いと酒場を覗き込んでみる。
時間が時間なだけに人もまばらな酒場…その中央に陣取る一団。
面子はビクトールのおっさんにフリックさんの腐れ縁コンビに同盟軍々主であるマオ、その義姉のナナミに…珍しい事に、お世辞にも普段付き合いがいいとは言えない隣国の英雄ルバロと風使いルックが同席していた。
「そうよ! マオが一人で泣いてたのを私が見付けて“マオ”って名前付けて弟にしてあげたの!」
誇らしげに言って、隣に座っていたマオをぎゅっ、と抱き締めるナナミちゃん。
…力一杯抱き締めてるもんだから、マオが苦しそうなんですけど。
「ナナミとマオが出会ったのって、いくつぐらいの時なんだ?」
「えっとね、私が四つぐらいで、マオが二つか三つの時だよね!」
ビクトールのおっさんの問いに、ナナミは思い出すように小首を傾げ答える。
同意を求めるようにマオに視線をやると、マオは困ったように苦笑い。
「ボク、よく覚えてないから」
「そりゃ二つか三つじゃなあ」
マオに同意するフリックさん。
「よう、なんか盛り上がってるじゃん」
と、ここで俺が乱入。一斉にこちらを向く面々に、軽く右手を振り挨拶。
「…また煩いのが増えた」
「ルック、聞こえてる」
ため息と共に悪態を付くルックに突っ込みを入れながら、隣のテーブルから椅子を拝借しルバロの隣に腰を下ろした。
「で? 何の話?」
「あのね、あのね、マオの名付け親が私だよって話をしてたの!」
尋ねる俺に、ナナミが元気よく答えてくれる。
「へえ、そうなの?」
その辺りはしっかりと聞こえていたが、俺は愛想笑いを浮かべながら一応驚いてみせる。まあ、社交辞令というやつだ。
「マオって、ナナミちゃんの後に拾われたんだ?」
あまりよい思い出ではないだろう話に、しかしマオは嫌な顔一つせず話してくれる。
「うん、ナナミが先。ボクは後に拾われたし、歳もたぶんナナミの方が上だからナナミがお姉ちゃんなんだよ」
その横で、やはりナナミが無意味に胸を張り「そうよ、私の方がお姉ちゃんなんだから!」と力強く主張していた。
…相変わらずだな、ナナミ…。なんかこの娘、マオの『姉』ってのに拘ってる気がするんだよなあー…。
「シーナって、名前誰が付けたの?」
ふと気付いたように、マオが訊いてくる。
「俺? 俺は親父が付けたって聞いたけど」
「何か由来とかあるのかな?」
次いで訊いてくるナナミに、「さあ、どうだろ? 聞いた事ないや」と答える。
「私ね、私ね、ゲンカク爺ちゃんが付けてくれたのよ!」
「俺は爺さんが付けたって聞いたなあ。由来はやっぱ知らないが」
「俺は…誰だろう?」
ナナミ、ビクトールのおっさん、フリックと答え…みんなの視線が流れるように集まる。
その場で答えていない二人――つまり、ルバロとルックに。
「ルバロとルックは?」
数秒続いた沈黙を破り、代表して俺が口を開いた。
ルックは興味なさそうに「さあね」と呟くとそれっきり口を閉じた。
知らない、というよりは、言いたくないって感じかな?
ルックも結構謎なんだよなあー…占い師であるレックナートって人のとこに住み込み弟子してるらしいけど、出身とかわからないし…。
待っていても答えるとは思えないし、と、視線をもう一人へと向ける。
俺に釣られるように、他のみんなもルバロに注目。
当のルバロは俺が話に加わってからか、その前からか、話に加わろうとはせず黙ってコップに入った酒を飲んでいる。
「ルバロー? お前の名付け親と由来は?」
やはり沈黙に耐えられず、再び俺が口を開いた――瞬間。
――ガチャンッ
激しい音を立て、ルバロが乱暴にコップをテーブルに置いた。
驚く一同を無視し、ルバロはこれまた乱暴に椅子を蹴り立ち上がると、その足で出口へ…。
「――って、おい、ルバロ!?」
慌てて追おうと立ち上がる俺。
「――キライだよ。こんな名前」
ルバロは入り口で立ち止まり――ただ一言。
そのあまりに冷たい、突き放した口調に――結局、踏み出すことが出来ず、ただ呆然と立ち尽くした。
たぶん、時間にして数秒。
その数秒の間に、ルバロは振り向く事なく去っていった――。
「謝りにいきましょう!」
元気よく宣言する同盟軍々主サマに、とりあえず俺は「…はあ」と曖昧な返事を返した。
酒場で話した後。
毎度の事ながら、ルバロは颯爽とグレックミンスターへと帰ってしまった。
ちなみにルバロ帰還を知った、マオの第一声は「ムササビハントに同行してもらおうと思ったのに!?」だった。
…マオ…そんな用事にルバロを同行させようとするお前を、俺は心底すごいと思うよ。
そして、一夜明けて今。
マオに呼ばれ、腐れ縁コンビに俺、マオと迷惑そうなルックを交え、石板の前で立ち話。
「謝りにって…ルバロにか?」
ビクトールのおっさんの確認の言葉に、マオはやはり元気に「はい!」と答えた。
「ルバロさん、とっても嫌がってたのに無理矢理話に同席させちゃって、しかも何か苦手な話だったみたいだし、ちゃんと謝った方がいいと思って」
…そう思うなら、もうそっとしておいた方がいいんじゃないか?
と思ったりもしたが、とりあえず黙っておこう。
「迷惑がってるのわかってるなら放っておきなよ。きみ、バカ?」
あ、俺がせっかく黙ってたのにルックが言っちまいやがった! しかも、余計な一言まで加えて!
しかしルックの毎度の毒舌にもめげず、マオは健気に反論する。
「そうやってみんなで気を遣ってたら、ルバロさん、ずっと独りになっちゃいますよ?」
『…………』
思わず黙る一同。
「気を遣うのは良い事かもしれないけど…みんなで気を遣って、ルバロさんを腫れ物扱いして…それってよくないです」
…目から鱗とは、まさにこの事かもしれない。
確かに…あの戦いの中、共に過ごした俺たちは…アイツの傷を知っていて。
その傷口に触れないようにと、気を遣い、遣いすぎて…結局は、壁を作っていたのかもしれない。
「ね、だから、みんなで謝りに行きましょう!」
もう一度、マオが言った。
――反論は、誰からも…ルックからも、出なかった。
→ きみの名は 後編